目からウロコの仕事力

仕事で自分の軸足をしっかり持つ
──「自燈明・法燈明」の精神

中央学術研究所客員研究員 佐藤武男
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「自立した人格を持つ個人」と「自燈明」

近年、不祥事の発覚は内部告発によるケースが大半です。

企業の不祥事を見ると、社員が上司から命令されたり、内心悪いことと知りながらも、売り上げを伸ばしたいという欲望や、内々で処理すればわからないだろうという消費者軽視から生じているケースが多いのです。

正しく対応しなかった経営者の責任はもとより、社員にも手を下した実行責任があります。社員は企業の一員であるとともに、自立した人格を持つ個人です。社員は何が正しいのか、何が人間としてあるべき道なのかをよく考える「自燈明」で行動し、その判断基準を仏教でいう法に照らして、社会の実相の真理に基づく「法燈明」を拠り所とすることが大切です。企業の中にあっても組織に埋没せず、不正に手を染めず、自らの軸足をしっかり持って、結果責任を持つという強い意志と勇気が必要なのです。

仏教の「自燈明・法燈明」とは、「自らを拠り所にし、しかも法を拠り所にせよ」と説きます。これは「人に頼らず、自分でしっかりと考え、無私の正しい心で責任を持って自分で生きていきなさい。その自分は世の中の普遍の真理を基準にして拠り所にしなさい」との意味です。

市場経済は、ルールと倫理によって支えられています。自由に責任と制約があるように、企業の自由な経済行動にもルールと倫理などによって制約があります。そして、一度崩れると非効率で不公平なものになり、大きな弊害が生じます。リーマンショックは、短期的な利益追求のために倫理観を失って行動すると企業の存続すら危うくするだけでなく、グローバル化した世界経済にも影響を与え、混乱に陥れることを証明したのです。

近代資本主義が発展して企業規模が大きくなり、競争が激化してくると、市場から取り残されないようにするための競争に勝ち続けなければならなくなりました。このため各企業は合理的な経営を進めましたが、その結果、宗教観や倫理観に立ってものごとを考える部分が抜け落ち、利益自体が目的化しがちになりました。競争に勝つために「利益至上主義」の社風が蔓延し、会社の存在意義、倫理や道徳のウエイトは小さくなったのです。

資本主義はその本質の部分で人間が倫理的に行動するというのが大前提です。そのために各人が「自燈明・法燈明」で自ら主体的に考え、倫理的に責任ある行動を取ることは、日々働く者にとって肝に銘ずべきことです。

中央学術研究所客員研究員
佐藤武男(さとう たけお)
1954年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、三菱銀行に入行。香港や米国などの海外勤務を経て、三菱東京UFJ銀行外為事務部長を務める。また、貿易電子化諮問委員会の日本代表を6年間務めた。中央学術研究所客員研究員。現在はグローブシップ株式会社常務取締役管理本部長。
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