インタビュー

漁師・NPO法人「森は海の恋人」理事長 畠山重篤 
腐葉土のような人になれ

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宮城県の気仙沼で牡蠣を養殖してきた畠山重篤さんは、
海を豊かにする森と川の役割に着目し、
漁師仲間と共に、山に木を植え続けてきた。
その活動に込められた「自然」への思いとは――。

海が死んだ日

――東日本大震災では、畠山さんの養殖場も大きな被害に遭われたそうですね。

あまりにも大きな津波でしたから、高台にあった家以外は、養殖の筏から何から仕事の道具は全部流されました。
いちばん恐ろしかったのは、津波が引いたあとの海に鳥やカニから小さなフナ虫まで、一切の生き物が消えてしまったことでした。

それまで山や川の環境汚染が原因で赤潮の被害を受けていた気仙沼の海を守るため、森と川を整える活動を二十数年続けてきて、ようやく海に生き物が戻ってきたところに、あの震災が起きました。いのちを育む海だからこそ、カキやホタテなどの養殖業も成り立つわけです。ですから震災直後の状況は、「海が死んでしまった」と思ったほどショックなものでした。

―――そのショックからどのように立ち直ることができたのですか?

震災から約1カ月が経ち、津波で濁った海がようやく澄んできたころでした。海で遊んでいた孫が「おじいちゃん、魚がいる」と知らせてくれたんです。確かに磯には小さな魚が泳いでいました。ほんとうにうれしかった。それを機に、イワシなどが浜に打ちあがるほど以前にも増して魚が戻ってきたんです。

長年の活動で、ご縁のある田中克先生(京都大学名誉教授)をはじめ、研究者の方々が水質調査をしてくださいました。すると、海中にはカキが食べきれないほどの植物性プランクトンが発生していることがわかりました。つまりそれは食物連鎖が進み、海の生き物も戻っていることを意味しています。それを知って、カキの養殖も一から再開することができました。

―――それほど早く海が再生したのは、やはりこれまでの活動の賜物だったわけですね。


そうですね。海は海だけで存在しているのではなく、そこに注ぎ込む川の上流の自然環境が、きれいな海をつくっています。ですから、私たち漁師は山に木を植える「森は海の恋人」運動を続けてきました。

じつは津波のあとに豊かな海が戻るということは、昔から言い伝えられてはきたことです。57年前のチリ地震大津波のときも驚異的な早さでカキが成長するほど、海は再生しました。

ところが、高度経済成長が始まった60年代後半から大量の赤潮が発生し、カキやその他の海産物が被害を受けました。原因は、水源地の山が国の造林計画で杉山になってしまっていたからです。結局、外国の木材との価格競争に負けて、杉山は放置され、山林は荒れました。

元々、海を豊かにしていた山の木々は広葉樹などの雑木林なんです。その落ち葉が時間をかけて蓄えられてできた腐葉土から作られる「フルボ酸」が鉄と結合し、「フルボ酸鉄」と呼ばれる栄養素になって、川から海に流れ込むことで、生命の食物連鎖に必要な鉄分を含んだ植物性プランクトンが生育される。その循環によって豊かな海が約束されているのです。
ですから震災後、初となったカキの漁は、養殖の筏が沈みそうになるほどの豊漁となりました。それは、私たちが信じて取り組んできた流域の環境を守る活動が正しかったことの証明でもありました。

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