日本仏教を形づくった僧侶たち

「忍性」―この世に現われた「医王如来」と崇められた僧侶―

作家 武田鏡村
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一切の命を尊んだ生涯

由比ヶ浜

鎌倉・極楽寺坂上の成就院から市街に面する由比ヶ浜を望む

忍性は鎌倉で10の大願を立てています。
「孤独・貧窮・乞食人・病者などや、路頭に捨てられた牛馬に、あわれみをかける」
険難けんなんには道を造り、水路には橋を渡し、水なき所には井戸を掘る」
などで、その実現に向かって行動したのです。

忍性の事業で注目されるのは、鎌倉の桑谷くわがやつに療病所を開いたことです。そこでは身分を問わずに、治療と施薬が行なわれました。

この療病所で20年間に治った人は46,800人にのぼり、看取られて亡くなった人は10,450人であったといわれています。
また忍性は、鎌倉の坂の下で、日本で最初の馬の病院を設けています。
こうした忍性を人々は、医王如来いおうにょらいと呼んで、たたえています。

忍性は嘉元かげん元年(1303)に87歳で没しますが、その一生は慈善救済にささげたといってよいものです。極楽寺には、忍性の墓とされる五輪の忍性塔が残っています。

ちなみに『本朝ほんちょう高僧伝』には、忍性の一代の業績を記しています。
それによると、弟子は2,740余人、架橋は189ヵ所、道路の修築は71ヵ所、井戸を掘ること33ヵ所とあります。
また浴室や療病舎、非人宿を設置すること、それぞれ5ヵ所、物乞いに施した布衣は33,000などで、そのほかは記述するにいとまがないほどである、と述べています。

しかし、叡尊と忍性につづく慈善救済の道は、忍性亡きあとは西大寺律宗の宗門となることなく、しだいに衰微していったのでした。

作家
武田 鏡村(たけだ きょうそん)
1947年、新潟県生まれ。作家、日本歴史宗教研究所所長。主な著書に『良寛 悟りの道』(国書刊行会)『一休』(新人物往来社)『「禅」の問答集』(河出書房新社)『名禅百話』(以上、PHP文庫)『親鸞 100話』(立風書房)『親鸞』(三一書房)『般若心経』(日本文芸社)『清々しい日本人』『図解 五輪書』『決定版 親鸞』(以上、東洋経済新報社)ほか多数。
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