宗教学者 島田裕巳の“怒りの研究”

金持ちと貧乏と怒りの連鎖

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「金持ち喧嘩せず」は本当なのか

世の中には、「金持ち喧嘩せず」ということわざがあります。金があって余裕のある人間は、もめ事を起こすと自分の損になるので、わざわざ人と争ったりはしないというのです。イラン人の中国人評は、このことわざには反しているようにも思えますが、注目すべきは、「ちょっとばかり」の部分でしょう。

最近では、中国の経済も曲がり角にさしかかっていますが、近年の成長には目覚ましいものがありました。“世界の工場”として、いまや世界経済を動かすまでに台頭しています。経済が発展すれば、さまざまな形で金儲けが可能になります。実際、相当な額を儲けた中国人が現われ、“爆買い”などという事態も生まれました。

しかし、急に金持ちになったという場合、稼ごうとすれば、さらなる金儲けが可能になりますから、あるいは可能なように見えますから、そこには焦りの気持ちも生まれてきます。儲かるようになった人には、「自分には才覚があるのだ」という自信も生まれるのでしょう。けれどもそうなると、周囲で同じように金儲けをしている人と競ったり、比較したりする気持ちも生まれます。さらには、「自分の思い通りにしたい」といった思いが強くなっていきます。周囲がそれに上手く応えてくれないと、怒りの感情が頭をもたげてくることになるのです。

まだ貧しく、つましく生活をしていたときには、焦りや競う気持ちはありません。しかし、競争社会にいきなり投げ込まれると、それまでさほど怒ったりはしなかった人でも心の持ちようが大きく変わってきてしまいます。しかも、怒りっぽくなったのは、ある特定の個人ではありません。義烏の人たち全体がということですから、そこには怒りの連鎖反応が起こりやすい状況が生まれていることでしょう。

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