対談

笑う門には福来る!心のエンジンに火を点けるために。落語家・林家たい平×フリーアナウンサー・魚住りえ

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落語家の林家たい平さんと、フリーアナウンサーの魚住りえさんの、新春を祝うおめでたい対談!その一席をお楽しみください。

大笑いする父親の姿

たい平魚住さんが日本テレビのアナウンサーから独立されたのは、私が12年前に『笑点』のレギュラーをいただいた前年だったんですよね。

魚住そうなんです。私はフリーになって今年で14年目になります。局のアナウンサー時代、お正月と夏には必ず“アナウンサー大喜利”で『笑点』に出演させていただいていました。だから、たい平師匠とはちょうど入れ違いだったんですよね。『笑点』でご一緒する機会はなかっただけに、今回の対談はとても楽しみにしていました。

たい平こちらこそ、ありがとうございます。ところで、魚住さんのお父様は、大学教授も務められたお医者さんでしたね。厳格なご家庭で育ったから、テレビもNHKしか観ていなかったそうですね?

魚住いえいえ、それが『笑点』だけは観ていたんですよ。

たい平えーっ! ほんとうですか?

魚住というのも父が大の落語好きで。落語ならテレビを観てもOKだったので、私も父と一緒に落語を聞きながら育ちました。だから、噺家さんは、幼いころから身近な存在だったんです。

たい平それはうれしいお話ですね。それこそ、落語を聞かれているときのお父様は、普段は見せないような笑顔だったんじゃないですか?

魚住おっしゃるとおりです。父は、脳外科の医者だったので、生死を左右する大きな手術ばかり担当していました。8時間立ちっぱなしの手術もざらですから、そんな日は、興奮と緊張状態で家に帰ってくるんですね。父にとって落語を聞いて笑うということは、ちょっと現実から離れられる癒やしの時間だったんだと思います。

たい平そういうお父様を見て、魚住さんはどう感じられました?

魚住厳格で怖い人でしたから、その父が大きな声で笑う姿を見て、落語ってそんなに面白いものなのか、という気持ちはありましたね。そのときだけは父も、ほんとうに楽しそうにしていました。とくにお正月はテレビなどで落語をよくやりますし、私が『笑点』のお正月特番に出ていたときは、「うちの娘が笑点に」って、喜んでくれていました。てっ、まだ父は85歳で元気なんですよ(笑)。

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