インタビュー

人生で、困った人ほど落語でたくさん笑えます 落語作家 小佐田定雄

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落語の話には失敗を繰り返しながらも、なぜか憎めない人たちが登場する。そんな人たちが教えてくれる笑いの心とは何だろう。

小佐田定雄

困った自分を笑えるゆとり

―――落語を聞くことの効能として、どのようなものがありますでしょうか?

古典芸能と呼ばれる浪曲や講談には、一生懸命努力して成功する人の話が多くあります。でも落語では、一生懸命頑張ったけどあかんかった、そのかわり、突然、富くじが当たったとか、登場人物もわけのわからん人が集まっているかのようです。

人生なんて失敗の繰り返しみたいなもんやと、あまり不幸を突きつめないのが落語なんですね。どないしよう〜と窮地に追い込まれても、困っている自分を幽体離脱して笑い飛ばす力があります。

大阪の川柳で、「えらいことできましてんと泣きもせず」というのがあります。きっと商売人が商売で大穴をあけたんでしょう。困っている一方で「えらいことですわ」と、失敗した自分を笑ってる。失敗したって、なんとかなるやろ、あかんかったらそのときや、という商売人の気質がうかがえます。

人生の出来事を悪いように思ったら、なんぼでも悪いように思えます。窮地に追い込まれても、窮地をおもしろがる。いま、自分、困っとると、笑うことができたら、大概のことは苦しいことではなくなるでしょうね。

落語の登場人物もそうです。でも、あざ笑うというような冷たい笑いではないんですよね。「そうそう、わしもそれやんねん」と一緒に笑う共感があるんです。

その意味では、落語は聞く人も、人生の経験値をあるていど経ていたほうが、おもしろ味が増す部分もあるんです。

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