対談

答えが一つでないから仏教はおもしろい 国際日本文化研究センター教授・末木文美士×尼僧・勝本華蓮

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坐禅や寺院巡り、仏像鑑賞など、仏教に関心が集まっている。不安定な世の中にあって、心の拠り所として仏教が求められているのだろうか。日本仏教学をリードする末木文美士さんと博士号ももつ尼僧の勝本華蓮さんに語り合っていただいた。

知れば知るほど、迷宮入り

勝本仏教の現代的意義を問い直した共著『現代と仏教』の執筆のときには、大変お世話になりました。
末木大丈夫かなあと心配しましたけど、理論と実践が融合した仏教の新しい姿を明らかにされましたね。
勝本ありがとうございます。先生は、『新アジア仏教史』の編集委員もされ、新たな視座で日本仏教を読み説かれていらっしゃいます。今、仏教がブームだとかおもしろいとかいわれていますが、どう思われますか?
末木仏教って、おもしろいかなあ。ぼくは、数年前まで、いつ死のうかと考えていて、泳げないのに海に溺れたみたいな状態のなかで、執筆をとおして死という問題にぶつかった。それで、生きている世界はこの範囲、と思い込んでいたのが、実はそうではなく、もっと外に広い世界があるとわかって、急に今まで苦しんでいた垣根がなくなってしまった。ずっと仏教を勉強していてわからなかったことが、やっとわかったような感じです。
勝本私も出かけるとき、無事に帰って来られるだろうかと、常に死を意識しています。ふつうは、あまり考えないと思いますが……。
末木そうでしょうね。ぼくは、若い頃から感覚がずれているのか、人と話が合わない。だから人と付き合うより、本を読んでいるほうがいいと思い、研究の道に入りました。仏教を研究して救われるかというと、それがなかった。救いがあろうがなかろうが、どっちでもいいと思えるようになったのは、ここ数年です。
勝本私は企画デザインの仕事をしていて、充実した毎日でしたが、仏教にふれて、私の生きる道はこれだと思い、仏門に入りました。仏教は、最初わかりやすい感じがしますが、学べば学ぶほど複雑になって、なかなか答えが見つからない。それが、おもしろいところですね。
末木いくらやっても限界がない。だから仏教をやろうという学生には、「仏教を専門にしても就職はない。路頭に迷うようなことになるけれど、研究内容は飽きることがないと保証できる」と言うんです。
勝本お釈迦さまは、形而上学的なところは置いておいてと、いちばん知りたいところを言われなかった。だから答えのないところを考え続ける楽しさがあるのかなと。お釈迦さまは世俗的な楽しみより、わからないことを知る楽しみを私たちにくださった……。
末木世俗的な楽しみもいいですよね。ぼくは、おいしいものと仏教だったら、おいしいものにいきそうな気がするなあ。

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