日本仏教を形づくった僧侶たち

「無学祖元」―元軍の襲来時に日本の指導者を奮い立たせた中国人僧―

作家 武田鏡村
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元兵に斬られそうになった無学
北条時宗に招聘されて日本に来た無学
鎌倉円覚寺の開山第一世となった無学
「煩悩にとらわれるな」を提議して元寇を撃退させた無学祖元とは、
いったいどのような人物だったのでしょうか──。

©悟東あすか

非凡な男児

無学祖元[むがくそげん]は、1226年に宋国[そうこく](中国)浙江省[せっこうしょう]杭州[こうしゅう]近くで生まれています。
生誕にまつわる秘話があります。

母親が夢を見たのです。それは、
「赤ちゃんを抱いたお坊さんが現われて、その子を受け取ったとき、夢から覚めた」
というものでした。

それから、すぐに妊娠の徴候[ちょうこう]が現われたのです。そればかりではありません。月を重ねるにしたがって、胎児が異常にうごくのです。

母親は不安になって、いっそ始末してしまおうかと夫に相談したのですが、また夢を見ます。

白衣[びゃくえ]を着た人が、枕もとに立って、
「お腹の子は、非凡な男子である。必ず保育につとめよ」
と告げたのです。それからというもの、母親は胎児を大切にし、月みちて元気な男の子を産みました。

1歳になったとき、いろいろな玩具[おもちゃ]や絵本を与えますが、それよりも経本一巻を手にして放そうとしなかったといいます。

7歳のころから文字を習い、書を読むようになりますが、あまりの聡明さに教える人が驚いたといわれています。

13歳のときに父親を失うと、出家することを熱望します。
そして伯父[おじ]が僧であったことから、杭州西湖[さいこ]にある浄慈寺[じんずじ]北礀居簡[ほっかんこかん]の弟子になって、剃髪得度[ていはつとくど]します。

それからというもの、各地にある禅寺の師匠に参じて、悟りの境地を求めますが、なかなか機縁に出会うことができません。
やがて故郷にある大慈寺[だいじじ]物初大観[もつしょたいかん]の門に入ること2年。

ある日、水を[]もうと井戸端[いどばた]に立って、ガラガラという釣瓶[つるべ]の音を聞いた瞬間、本然と悟りを得たといいます。36歳でした。

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