インタビュー

思想家・内田 樹 
この時代を生き延びていくために必要なこと

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いまも昔も変わることのない、大切にすべき“心”――思想家の内田樹氏に、われわれがいまいる場所で力を発揮するために必要な視点と考え方をうかがった。

いまも昔も人情はある。変わったのは環境だけ

――何をするにも便利な世の中になりましたが、そんな時代だからこそ、大切にされていることは何でしょうか?

いろいろありますが、賀状を送るときに友人や知人の名前と住所を1枚ずつ手書きすることですかね。数百枚ほどあるけれども、宛名を書いている1分間は、「元気かな」とその人のことだけを考えるようにしています。

賀状を送るのは、手間暇がかかるから面倒だという人も増えましたが、賀状は祝言の一つで、先方に祝福を贈る儀礼ですよね。どんな形にせよ、誰かのために手間をかけ、心を込める行為自体に意味はあると思っています。

――いまは人に祝福を贈るといった、温かな関係が築きにくい世の中ですね。

貧しい社会では人間関係は密になり、豊かになると疎遠になる。豊かさと相互扶助のある親密な人間関係は、ゼロサムなんです。

僕が少年時代のころの1950年代は、まだ行政のサービスが整備されていませんでしたから、防災・防犯・公衆衛生などは、かなりの程度まで地域で引き受けなければならなかった。ドブ掃除や町の夜回りを共同でやっていましたし、近隣の家との行き来も頻繁でした。

でも、東京オリンピックを機に日本が豊かになり、行政のサービスも行き渡ると、地域の共同体で身を寄せ合って助け合う必要がなくなった。そのとたんに、一気に地域社会のつながりが希薄になりました。家と家とのあいだの垣根がブロック塀に替わり、縁側から隣の家に入り込むこともできなくなった。それまで親しく行き来していた家の敷居がだんだんと高くなって、玄関先で「何しに来たの」と迷惑顔をされるようになった。子ども心にも地域共同体の解体は衝撃的でした。

――社会が豊かになったために、住人同士の人情が失われたのでしょうか。

いえ。人情が失われてしまったわけではないんです。社会の仕組みが変わってしまった。人情はあるのですが、それを発揮できない社会になってしまったということです。ですから、もし、大きな破局的な事件が起きて、社会のインフラが瓦解したら、再びみんなで助け合い、労わり合って、地域社会を再建しようとするでしょう。

誰もが本来温かな心をもっています。でも、人情をかけにくい社会の仕組みに適応して生きている。不人情がいまの社会では基本マナーなんです。情味を示すことはしばしばルール違反を犯すことを意味します。親切にするときでも差し出した手を振り払われる覚悟が要る。誰もが怪訝な顔をされるのが嫌なので、その一歩がなかなか踏み出せないのです。

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