“幸せ力”をつける

「幸せ」とは、我を忘れる瞬間 

漫画家 しりあがり寿
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「自分」にがんじがらめになっていると、
幸せは感じられない。
「我」を忘れた瞬間や、
「我」を超えて分かち合えた瞬間に、
人は幸せを感じる。

幸せは瞬間的なエクスタシー

幸せとは何かなんて考えると、とても難しいですよね。

不幸せと思ったことが、あとで幸せと思える経験値に変わったり、幸せに思っていたことで、足もとをすくわれたり。幸、不幸は、人それぞれの価値観だし、答えがないという言い方もできます。

僕なりに思うことですが、幸せは状況とか環境によるものではなくて、楽しさやうれしさといった、瞬間的なエクスタシーなんだと思います。

絵を描いていて「あっ、うまく描けた!」とか、おいしい料理が作れたとか、疲れて布団や風呂に入ったときの安堵感だとか、「生きててよかったなあ〜」と感じる瞬間です。

状況とか環境が整ってから幸せは訪れると思いがちですけど、僕はそういうことではないと思うんです。
たとえば状況や環境で幸せの数値を計ると、お金があるとか、収入のいい仕事に就いているとかが想像できますけど、じゃあ、その人たちが必ず幸せを感じているかというと、そうじゃない。たしかに、幸せに出合う確率の高い立場なのかもしれないけど、つらいときはつらいし、苦労も多い。

だから僕にとっての幸せ観は、粒のように、幸せがつねに空中を漂っていて、たまにポッと巡り合うイメージなんです。
幸せを状況や環境で考えてしまうと、しんどくなりそうですね。何かと比べる必要に迫られて、相対的になってしまいがちです。過去と比べていまが幸せか、人と比べて自分が幸せかという、二つの条件が重要になってしまう。そうすると、不幸に思ったり不満に思うことが多くなるかもしれませんね。

「隣の家はカラーテレビなのに、何でうちのテレビはモノクロテレビなのっ!」みたいに。
いや、古いたとえですね。ごめんなさい(笑)。

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