インタビュー

科学者が語る、仏教の魅力――『ロボット工学と仏教』 著者インタビュー(1)

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佼成出版社から『ロボット工学と仏教――AI時代の科学の限界と可能性』(森政弘/上出寛子・共著)が発刊されました。共にロボットにかかわる研究者であり、仏教を学ぶ師匠と弟子の関係でもあるお二人に、それぞれの仏教観や、専門の研究領域と仏教とのかかわりについて伺いました。

ロボット博士として知られる森政弘氏と、気鋭の心理学者である上出寛子氏

――森先生はこれまで、ロボット工学の専門家でありながら、仏教を多くの人に説かれてきたわけですが、理系の人を仏教にいざなうにあたってご苦労されたことは何ですか?

 理系の人、科学者は一般に、「ある・ない」や「善・悪」などの二元論に凝り固まっています。それが最終で、最高のものだと思い込んでいるのです。
それで、その殻をぶちやぶるのに苦労してきました。今でも苦労しています。

――二元論では、どこがいけないのでしょうか

 二元論とは、二つの相互に独立する根本原理によって事象を説明することですが、その欠陥は、「実相は一つ」ということを見逃してしまう点にあります。つまり、真実は、正反対なものが合一しているのです。

たとえば「即」という字。この字は、正反対のものが一緒になっていることを示しています。ところが、二元論では、そこのところがわからないのです。つまり、それを矛盾と思ってしまうのです。科学の世界は、矛盾を抱えることができないんです。

矛盾とは、分かりやすく言えばこういうことです。ブレーキなしでは、車は走れません。刃物は“柄”がないと切れません。刃だけだったら手を切ってしまいます。
現実にあるものは、正反対のものが一緒になっているのです。ところが、二元論ではそこのところがわからない。矛盾ととらえてしまうんですね。

――宗教でも、「光と闇」「天と地」というような二元論が用いられますが、仏教は一元論をとるということですか?

 ここが非常に難しい所ですが、一元論で行くべき時には一元論になり、二元論でなければならない時には二元論を使うのが、本当の一元論である仏教です。二元論はだめだから、一元論で行こうという、その考え方が、二元論なのです。

――つづいて、上出先生にお伺いします。この本に書かれているように、心理学を専攻してきた先生が、森先生との出会いにより仏教を学ばれるようになったわけですが、異分野の研究者と交わるときに努力を要することは何ですか?

上出 二つありまして、一つ目は、違う分野の先生方としっかりコミュニケーションするために、自分の基礎をしっかり作るということです。その頑健性がないと他の分野の先生と話し合っていけません。

ただ、それとは逆にもう一つあるのは、自分の分野にこだわらない柔軟性です。それがないと、やはり異分野の先生方と一緒に研究はしていけないと思います。

分野というものは縦割りで、勝手に人間が後から作ったものではあるんですけれども、そういったことを乗り越えて、異分野融合の研究をしていこうと思ったら、しっかり自分の専門の頑健さを持つということと、逆に自分の分野にこだわらないという柔軟さの両方が必要になると思います。

――なるほど、頑健性と柔軟さ、ですか。柔軟さを仏教から学ばれたのですね。

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