インタビュー

科学者が語る、仏教の魅力――『ロボット工学と仏教』 著者インタビュー(1)

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「二元論の世界以外の可能性に気づかされました」と語る上出寛子氏

――今、森先生から、正反対のものが一つに合わさっていることへのご指摘がありましたが、上出先生はどのようにお考えですか。また、仏教を専門の心理学の分野で生かすとしたら、どういうやり方があるとお考えですか。

上出 今、森先生がおっしゃった通り、全く違うものを合わせるというのが仏教の根本的な教えとしてあると思うんですけど、私は心理学者としてエンジニアの先生方と共同研究させて頂いて、特に最近はロボットエシックス(ロボット倫理)だとか、科学技術だけが先に進んでいくことに対する懸念について、心理学や哲学がどのようにコミットできるのかということを研究させて頂いています。

特に、利便性とか経済性を追求するだけの最新技術がどんどん出てきていますが、そういう「人間を楽にする技術」が進むことによって、人間が損なわれることがないのかという視点もあるんですね。

一部のエンジニアの先生方の中には、技術を開発するだけで本当に良いのか、という漠然とした懸念や不安を持つ方がいらっしゃいます。そこで私は、開発された技術を単に社会に導入するのではなく、どのようにそれを扱うべきなのかという作法も一緒に、社会にインストールしていかなければならないと考えました。人間自身が物をどう扱うべきものなのかという作法について、反省的に考えることをしないと、いつの間にか技術に依存しすぎるあまり、それがないと生きていけないような弱い人間になってしまうと思います。技術は、それを使う人間側の作法があって初めて、その善としての価値を最大限に引き出せるのだと思います。そこで作法に関する心理学的な研究をはじめました。

作法を考えるにあたって、やはり最初にはプロの方々に聞かなければいけないと思いました。たとえば、華道とか書道とか柔道とか 、道の付く活動をされている方は、おそらくご自身がそれぞれの活動で使うあらゆる道具に対して、作法を持って扱われていると思うんです。そこで、そのような方々も対象者に含めて、調査をしてみたところ、作法には二つの側面があることがわかりました。一つは、物を壊れないように丁寧に扱ったり、きちんと掃除や整理整頓をするといった、人間から物に対するケアの側面です。これは、作法として、一般的な内容だと思います。ただ、それだけではなくて、人間から物に対するケアの作法が整ってくると、次は逆に、物から人間が学びや気づきを得ると言う逆のベクトルでの作法の側面があるということが分かってきました。

ですから作法とは、単に物を大事に扱うということだけではなくて、物を大事に扱うことを通して、物のありがたみとか人間関係の大切さに気づく、ということも含まれていて、そういった物と人間との相互作用的な循環が作法である、と言うことなんです。そういう循環が整っているということが作法であるということを心に留めておくと、物との付き合いだけではなく、対人関係でもいろんな発見が出てくると思うんです。

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