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レポート「ことば×マインドフルネス」

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持ちこまれたお気に入りの本が机に並ぶ

メインのワークは、まず自己紹介し合い、お気に入りの本を紹介し、その本の中から好きなフレーズを朗読するというもの。これは当然ことばに依るものだが、その合間合間に、沈黙の時間(マインドフルネスの時間)を持ち、

ことば⇒(マインドフルネス・ベルの音)⇒沈黙⇒(マインドフルネス・ベルの音)⇒ことば

というように、交互に沈黙とことばの世界を逍遥するのだ。

――さて、沈黙の中から立ちあがって来るものは、いかなる“ことば”であろうか。

静かにマインドフルネスの実践がつづく

まず、禅のことばが紹介された。「不立文字」。
禅の世界では、この「文字〈もんじ〉を立てず」ということが、たいへん尊重される。「教えは文字や思想では伝わらないから、まずはそれらを捨てろ」というふうに理解する向きも少なくない。いわゆる経験主義だ。
ところが島田さんは、そういう理解は本質を歪めてしまう、と言う。

「なぜなら、この受け取り方では、ことば(文字)に依っては、体験ができないと捉えられがちだし、そもそも“ことば”というものが、体験と切り離されている印象を与えるからです」。

「不立文字とは、けっして言葉を否定しているわけではありません。言葉や思考の世界だけで考えてわかろうとする、ひとつの狭い枠付けに閉じこもっていてはいけない、ということを言っているのです」。

そして、波と水の喩を引き合いに出して説明を続けてくれた。

「波があって、水があります。波は現象界です。生まれては消え移り変わりゆく現象です。しかし波の下の水は、不変の存在、言うなれば涅槃、絶対の世界。波は、俗界・現象界というふうに捉えてよいでしょう。そして敷衍して言えば、波はことば、水は沈黙と言い換えてよいものです。ことば(波)は、じつはこの沈黙(水)の中から生まれてくるのです」。

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