ものごとは心にもとづき、
心を主とし、心によってつくりだされる。
清らかな心で話したり行なったりするならば、
福楽はその人につき従う。
──影がその体から離れることがないように。
「ダンマパダ」(2)
わたしたちの人生とは、荷車を引いて生きているようなものです。その荷物とは、仕事や家庭や生きる重さです。同じ重さの荷物であっても、人によって、あえぎながら荷車を引く人もいれば、楽々と荷車を引く人もいます。この違いはなにか。それは執着です。執着が強いと、巨大で重たい荷車を引いているような人生になります。執着の少ない人は、荷物が職場や家庭であっても、それらは影のように重さを感じることはないのです。
俗世を離れて出家しても、心の問題はすべて解決するわけではありません。ただ捨てただけでは、心の問題は解決しません。家族や財産を捨てたとしても、いつもそのことを思い起こしているのであるならば、それらは捨ててはいないといえます。まだ、それらを背負っているのです。
宗教団体などにお布施をして、あとで「だまされた」と憤慨する人がいます。それは、たくさんお布施をすれば見返りに御利益があると思っていたからでしょう。しかし、それは「布施」ではありません。捨ててはいないのです。
布施とは「ほんとうに捨てること」「見返りを期待しないで捨てること」です。むしろ、「喜んで捨てること」なのです。
仏教を実践すると、楽しみがなくなってしまうと思うかもしれませんが、じつは損することは一つもないのです。家族がいてもいい、仕事をしていてもいい、お金があってもいいのです。大切なことは、ものごとに執着しないということです。そうであれば、重たい荷車を引くような生き方ではなく、影が体のあとをついてくるような軽やかな生き方ができるのです。
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「ダンマパダ」とは、「真理のことば」という意味です。わたしは「お釈迦さまのことばにいちばん近い経典」と言われるパーリ語の「ダンマパダ」を日本語に直訳し、一人でも多くの人にお釈迦さまの教えを伝えたい、と願っています。
お釈迦さまの教えを「一日一話」というかたちでまとめ、それぞれにわたしの説法を添えました。大切なことは、お釈迦さまの教えを少しずつでも実践することです。そうすれば、人生の悩みや苦しみを乗り越えていくことができるでしょう。
アルボムッレ・スマナサーラ
バックナンバー「 原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話」