インタビュー

ティク・ナット・ハン「マインドフルネス」が上陸した日 その2

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ワークショップハウス「ゆとり家」を主宰し、ティク・ナット・ハンが創設したプラムヴィレッジ正会員として、マインドフルネスを日本に広める島田啓介氏。1995年にティク・ナット・ハンの来日ツアーの世話人の一人として活躍し、日本のマインドフルネス黎明期でその発展に尽力。現在は精神福祉士やカウンセラーとして、マインドフルネスの手法を生かしたワークショップを展開、指導に当たっている。

このインタビューでは、今まであまり顧られることのなかったティク・ナット・ハン師「気づきの瞑想」日本上陸の経緯や、マインドフルネスとともに歩んだ氏の青春時代、そして現在、「ゆとり家」の活動の様子などを5回にわたって語ってもらう。今回は、その二回目。

新宿から電車で1時間。鶴巻温泉郊外の小高い山の上にある「ゆとり家」

――「気づきの瞑想」という言葉は、すでに広く浸透しているようです。ところで、ティク・ナット・ハンが来日された当時、「気づき」という言葉はあったのですか?

どちらかと言うと、英語の「マインドフルネス」より、そちらの方がメインでした。というのは、「マインドフルネス」とカタカナで言っても通じないので、それについて色々言い訳しながら「マインドフルネスとはこうですよ」というよりも、「じゃあ、『気づき』で行こうか」ということになりました。

――それは、中心となった5人のメンバーによる発案、決定だったのですか?

僕らだけではなく、何人か翻訳者がいたので、彼らも含めてスタッフの間で来日のパンフレットをどうしようとか、通訳でどう訳そうとかいう過程で、それとなく決まってきたことです。

――ということは、1995年当時から、「気づき」という言葉は使われていたんですね。

はい。だいたいの方針が決まってからはむしろ積極的にそういう形で出していました。
もっとも、「こうしましょう」というふうに会議で決めたわけではなく、「やはり訳語としては『気づき』しかないよね」というようなことだったのです。僕もあのツアーで通訳をやりましたけれど、「今、ここに気づく」とか、「気づきの瞑想」、「どんな時にも気づいている」とか、そのような文脈で「気づき」という言葉を使っていました。

「ゆとり家」奥の果樹畑。右奥に鶴巻温泉市街を望む

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