インタビュー

ティク・ナット・ハン「マインドフルネス」が上陸した日 その2

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「ゆとり家」のすぐ下に広がる棚田。現在、休耕地となっている

――それでは、「気づき」という訳語は、島田さんたちが考え、作り出したと考えてよいのですか?

いや、作ったと言うと語弊があります。つまり、来日の時に、どうマインドフルネスを紹介しようという段になって、たとえば本を出すとか、通訳をする、何かのコラムを書くという時に、「マインドフルネス」をどのような日本語に置き換えたらいいかと熟慮した末に、「気づき」という言葉を代表案として選び直したというわけです。

というのも、もともとマインドフルネスという言葉を翻訳するときには、「気づき」という言葉も含めて使っていたのです。
「マインドフルネス」とは、パーリ語の「サティ(sati)」を英訳したものです。今もヴィパッサナー瞑想をする人たちは、サティという言葉をそのまま使う傾向がありますが、ティク・ナット・ハンのマインドフルネス瞑想は、ヴィパッサナー瞑想と若干ニュアンスが違うのです、根は同じですけれど。そこで、ティク・ナット・ハンがサティよりマインドフルネスという英語を多用していたということもあり、この英語のニュアンスをどう日本人に伝えようかと考えたわけです。

その時に出した結論が、マインドフルネスというカタカナをそのまま使うのは早すぎる、まだ初の来日なんだから、と。それで「気づき」という言葉に翻訳して――じつは「マインドフルネス」とそのまま言った方がいいんだけれども――まだ分かりづらいから「気づき」という言葉で代用したわけです。
ただ、私たちが瞑想でマインドフルネスというときには「赤信号に気づく」のとは、ちょっとニュアンスが違うんですよと、私たちなりに文脈の中で説明を加えて、「気づき」という言葉が自然に定着していった感じです。

人の手が入らなかったため里山にシカ、イノシシ、サルが降りてくると島田さんは説明する

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