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場をひらく

広瀬 裕子
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暮らしの中から見えてくる風景や心象を表現し続ける、エッセイストの広瀬裕子さん。
2017年冬に、鎌倉から香川へ移住。
現在、設計事務所のディレクションに携わり、場づくり、まちづくりにも関わっています。
住む場所を変えて、見えてきたもの、感じた思いを綴ります。

 

住まう場をひらくようになってからずいぶん時間が経ちました。はじまりは、10年ちかく前からになります。今年も、この場を幾度かひらきました。そういう日は、いつもはしずかな家の空気が、訪れたひとに合わせ、流れるように動きはじめます。

住いを解放することについて、時々「大変ではないですか」と聞かれることがあります。大変をどう捉えるかによりますが、場や空間は、たとえ自分の家だとしても何らかの意味があり、いま自分のところに「やってきた」と考えているので、必要なひとやこと、時間があるのなら、ひらいたほうがいいと思っています。

今年ひらいた会は、テーブルをともにする食事会、作家の手を通して生みだされる道具展、季節を17文字の言葉で表す時間、など。こちらに来てから知り合ったひとや、遠く離れた場所からその日のために来てくださるひとたち。それは、場をひらく側としてはとてもうれしいことです。また、その時間をともにつくってくれる料理家や作家がいるからできることであり、誰かの力を借り成り立つものです。

ひらくときの内容の基準は、よいもの、気持ちのいいもの、かろやかなもの、目線が高くなるもの。そういうものを、自分たちの手から誰かに渡す。日々、ささやかにこころ躍るものやできごと、しずんでいた気持ちがかるくなるもの、心身が「おいしい」と感じるものは、生きていくうえで大切な要素になり得ます。自分に、ときおりそういうものが必要なように、自分以外の誰かも同じようにそういうものを必要としているかもしれません。大事なのは、自分の目やこころ、時間を通したいいと思うものをすっと指しだすことです。そういうものを提供する、共有する、それが、場をひらく意味になります。

場をひらくのと、本を造る作業は似ています。本は手にとれる形と大きさであり、場や空間は、身体が入れる形と大きさです。建物にはいるための入口、本をめくり本文にはいる前ページは、「扉」と呼ばれています。どらも扉、なのです。その扉の先にもうひとつの世界が広がっている。渡したいもの、伝えたいことは、いつも扉の向こうにあります。

あたらしい年は、どんな風景が見えるでしょう。または、見ようとしているのでしょう。場を使い自らつくるときもあれば、あちらからきてくれるときもあります。それらを必要なひとへ。自分が、いくつも受けとってきたように。
ただ──。誰かへ、と思っていたことが、案外、自分にとって必要だったと思うときがあります。でも、それに気づくのは、大抵、場を閉めたあとなのです。

 

photo by Yuko Hirose

(月1回連載)

 

*広瀬裕子

東京都生まれ。エッセイスト/設計事務所ディレクター/縁側の編集室共宰。「衣食住」を中心に、こころとからだ、日々の時間を大切に思い、表現している。
2017年冬、香川県へ移住。おもな著書に『50歳からはじまるあたらしい暮らし』『整える、こと』(PHP研究所)、『手にするものしないもの 残すもの残さないもの』(オレンジページ)など多数。

広瀬裕子オフィシャルサイト http://hiroseyuko.com
あたらしいわたし
共著者:藤田一照×広瀬裕子
出版社:佼成出版社
定価:本体1,200円+税
発行日:2012年12月
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