ブックレビュー

【書評】「定年後」はお寺が居場所 著:星野哲

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子育てに悩む母親の集う場となり、子どもたちの学び舎になり、時には「婚活」の会場にもなる。自治体の集会場でも民間が経営する施設でもない。お寺である。地域との新たなつながりを模索し、存在意義を自問する寺院が全国的に増えてきた。お寺のあり方を変えているのは、なんだろうか……。

かつて、寺院は「寺子屋」と言われたように、子どもたちに勉強を教える学校であり、檀家の悩み事に応じる相談所でもあった。いまや少子高齢化や都市部への人口流出のあおりをうけ、檀家は減り、存在さえ危ぶまれる寺院も少なくない。法事でさえ「Amazon」で僧侶を“宅配”できる時代、檀家との人間的なつながりもますます希薄になっている。

こうした状況の中、動き出したお坊さんたちがいる。寺院の再興が目的ではない。経済苦や病気などで苦に直面する人たちに、寺はどのように寄り添っていけるのか。現代社会で仏教にできることは何か。寺の存在意義は何なのか。寺院を現代の人々の“居場所”にしようと奔走する僧侶たちである。

「経済ファースト」の価値観とは違う、別次元の価値を提示できる人――それが僧侶ではないのか、と著者の星野哲さんはいう。例えば、東京・港区の正山寺(曹洞宗)では、山門に「あなたのお話 お聞きします」と張り紙を掲げた。1回80分、毎日無料で行われる相談に申し込む人は後を絶たない。2001年の開始以来、相談件数は17年間で延べ6千を超えた。インターネットで告知をすると、海外からも電話が掛かってくる。

お坊さんたちの取り組みは多様だ。人生相談だけでなく、貧困家庭の子どもたちを招き、食事を提供し文房具などをお裾分けする活動や、リストラにあった中高年の再就職を支援するためのパソコン教室を開いた寺院もある。孤独、自殺、介護など日本社会に横たわるあらゆる問題に、仏教や寺院は応え得る可能性をもつ、と星野さんは指摘する。

企業に勤めていた人が定年を迎えると、毎日通っていた会社という「居場所」を失うことになる。本書はタイトルで、お寺が定年後の居場所になることを謳っているが、居場所を求めている人は定年後の人ばかりではない。これまで述べてきた通り、老若男女が抱えている悩みに寄り添ってくれる場所が寺院なのである。食事など、経済面で支えてくれるだけでなく、相談に乗ってくれることで精神的な安らぎも与えてくれる。「生きているうちにお寺に行こう。お坊さんと話してみよう」。家庭でも職場でもない、第三の居場所となり得る寺院に足を運ぶことを、星野さんは勧める。

縁の始まりは人それぞれ。きっかけは何であれ、最終的に「ここのお坊さんはいい」と思える寺院に出会えればいい。寺院を訪ねてみると、人生をより良く生きるための良縁に結ばれるかもしれない。

 

〈書籍情報〉
「定年後」はお寺が居場所
著者:星野哲
出版社:集英社
定価:本体780円+税
発行日:2018年8月18発行
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