インタビュー

レポート「英語で語り直す仏教」

藤田一照・田口ランディ
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トークセッション「英語で語り直す仏教」は、3月3日(日曜日)午前11時からブックフェア会場の2階セッションルームで開かれました。セッションルームを2つに分割。まず、参加者は和室で藤田一照さんの英語によるガイダンスのもと、Zen Practice(坐禅)に取り組みました。ついで隣室に移動し、トークセッションの始まりとなります。

トークセッション「英語で語り直す仏教」
by 藤田一照 × 田口ランディ

 

田口 英語の坐禅いかがでした? 前列に座っている人に聞いてみましょう。

参加者 英語がわかるかどうか不安だったんですけど、以外とわかった。日本語で言われるのとはまた違って、何が違ったのかちょっと?

田口 何かが違った。今日は、そこをみんなで考えてみましょう。良い感想ありがとうございました。そうです! 日本語で坐禅の指導をされるのと英語で坐禅の指導をされるのは、何かが違った。そう感じた方?

私は違いました。どちらかと言うと私は英語の方が入りやすいです。なぜかと言いますと、日本語だと指導をされている人が誘導しようとしている、わざとらしさとかが気になっちゃうんですね。

それから日本語にくっついている情報を日本人だから拾っちゃうんです。ですが英語にされると慣れていないし、自分で咀嚼するのに精一杯なので、情報としてシンプルに受け取るってことがあるのかなと思ったりしています。

特に仏教用語というのは、さまざまに日本人の生活に取り入れられて、わかったつもりになっちゃっている。言葉についている様々な意味や慣習、そういうものが邪魔をして本質的な言葉のシンプルさを感じ取れなくなってる部分もあるのかなと思います。それで藤田一照さんと一緒に、今日は「英語で仏教を語り直す」ということをやってみようかなと思います。そういうことで、お呼び立てしました。よろしくお願いいたします。

藤田 僕は英語で仏教をもう一度学び直した人間なんですよ。ここまで英語に縁ができると思っていませんでした。英語は元々好きだったんです。中学で初めて英語を習って、今からすると良かったなと思っているんですが、自分で勝手に大学受験レベルの参考書で定評のある文法書を買って、徹底的に文法をやったんですね。日本語とまったく違う規則で文章ができているのが面白かった。

田口 英語の構造に着目して、興味を持ってしまった。

藤田 そう、すごく面白いなと思ったので。『英文法精解(せいかい)』という培風館から出ている文法の本。あれを中学生の時に面白くてじっくり読みました。

英文法を勉強して一番良かったのは、五文型というのを知ったことですね。文型なんて日本語に関しては、あまり自覚しなかったんですけど。「じゃあ、日本語はどうなってんの?」という感じで、日本語を知るきっかけにもなったんですね。普通、文法書って無味乾燥で、みなさん、モチベーション上がらないですよね。

僕はものすごくモチベーションがあった。全部、隅から隅まで読みました。そういう勉強でもう骨格ができたので、あとはボキャブラリーを増やせばいいだけでした。

田口 英語の構造自体に興味を持ったって言う。英語学習の一番、基本というかね。私、思ったのは、一照さんは、英語の本質を掴んだんですよ。英語は配置の言葉だから。本質を最初からガツっと直感でつかんで。そこから勉強した。五文法を面白いと思って、読破してしまえば、後は語彙だけですからね。

藤田 英語といっても日常会話じゃないですよ。高校の時にも英語なんか使って会話したことがないですね。でも、読む英語なら大丈夫っていうのは、ずーっとありましたね。だからいろんな英語の本を読んでいました。

はからずもお坊さんになって、「アメリカに行け」って言われて、行って17年半も住んじゃいました。行きたくて行ったんじゃないです。師匠が、「アメリカに行ってサバイブしてこい」って言うんで、「Yes, sir!」ってことで行った訳ですが。

田口 ええっ。そうなんですね。自分が英語が好きだから……。

藤田 そこまで、英語に惚れている訳ではない。

田口 そうなんですね。

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