日本伝統仏教者のためのマインドフルリトリート

【基調講演1】「プラムヴィレッジにおける戒律、サンガ、 マインドフルネス・トレーニングの関係について」 その2

チャン・ファプ・フイ師
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「日本伝統仏教者のためのマインドフルリトリート~日本仏教とプラムヴィレッジの相互対話」と題された研修会が、2019年5月8日から3日間、曹洞宗大本山總持寺を会場に開かれました。これは日本の伝統仏教の僧侶が、ティク・ナット・ハン師のサンガ「プラムヴィレッジ」と交流し、「マインドフルネス」をテーマに互いの修行法を共有するというもの。

全日本仏教青年会とプラムヴィレッジ招聘委員会により共催され、2015年から始まり今年で5回目。今回は「仏教における〈原点(オリジナル)のマインドフルネス〉」をテーマに戒律とサンガの成り立ちについて話し合われた。「ダーナネット」では基調講演を採録。今回はプラムヴィレッジのダルマティーチャー・チャン・ファプ・フイ師の講演の2回目です。

チャン・ファプ・フイ師

プラムヴィレッジと戒律

私たちはプラムヴィレッジの伝統の中で、戒律というものを書き換えてきました。ブッダ以来仏教の伝統では、出家者に対しては250の戒律、そして尼僧に対しては348の戒律を設けてきました。私たちが戒律を新しく更新してきたことには理由があります。それは新しい環境に適応していかなければいけないということです。

ブッダ存命の時代には、テレビもインターネットもありませんでした。自動車もありませんでした。その上、今日では、さまざまなテクノロジーもあります。けれども、もし私たちにマインドフルネスがなければ、テクノロジーというものは非常に厄介なものになってしまいます。もし私たちにマインドフルネスがなければ、テクノロジーによって、行き過ぎてしまうことが多々起こるでしょう。

ですから、私たちがブッダご存命の時代から受け継いできた戒律の中には非常に古いものもありますので、現代的な見解に見合うように、応用・適応させていく必要があるのです。

例えばインドは非常に暑いところです。そのようなインドで生まれた戒律の中には、僧侶たるもの、袈裟けさ、衣というものは三つでよしというようなものもございます。ブッダの時代には、一般の在家の者がお袈裟をたくさんお布施しましたので、中には沢山、お袈裟を集めてしまうような僧侶もいました。

そのような「サンガティ(saṃghāṭī)」と呼ばれるお袈裟は、往々にして年長の高僧に布施されました。その反対に、若い僧たちは何も持っていないということなどがあったのです。

そのような状況の中で、ブッダは出家者に対する戒律を定められました。「出家したならば三つの衣を持ちなさい」と意見されたのです(**)

**「三つの衣」とは下着に相当する安陀会(あんだえ)、普段に着用される鬱多羅僧(うったらそう)、「saṃghāṭī」と呼ばれる袈裟である僧伽梨(そうぎゃり)のこと。

チャン・ファプ・フイ師の法話に耳を傾けるリトリート参加者

しかし、現在では、世界各地に仏教が広まり、カナダやアメリカなどたいへん寒いところもございます。そのような状況では、ブッダ存命の時に作られた「三つの衣を持て」というような戒律は、もはやそぐわない訳です。私たちの身体を温かく保つためには、寒い地域においてはジャケットを着なければなりません。もしブッダご存命当時の戒律そのままに三つの衣だけでやっていくならば、そうした寒い地域では、程なく命を落としてしまうことでしょう。

ですから、私たちの先生、タイは、そのような戒律について熟考して、そして現代にふさわしいよう、今の状況に見合うように戒律を修正していかれたのです。出家者がマインドフルネスのプラクティスを続けていくためには、戒律そのものもアップデートしていかなければいけないと。そう考えられたのです。

例えば私どものプラムヴィレッジで、新しく現代生活に合わせて作られた戒律にはこのようなものがございます。「インターネットを使う時は、自分一人でそれを使わない。もう一人、誰かサポートしてくれる人と一緒に使うこと」。仲間と一緒にインターネットを使うことにより、間違いを犯さなくなるからです。僧侶といえども人間です。孤独にもなりますし、落ち込んでうつになることもあります。

私たちがマインドフルネスをしっかり保てていないまま、一人でインターネットに向き合ってしまうと、心があちこちに迷い込み始めて、非常にネガティブなものに触れてしまう可能性もあります。

たいへん暴力的な映画にアクセスしてしまったり、悲しい悲しい曲に心を吸い込まれてしまったり、マインドフルネスをしっかり保持していませんと、インターネットを通じて際限なくいろんなものに触れ続け、自分の心をネガティブな状態に落ち込ませるものにも触れてしまいます。そうすると出家者として「衆生を救う」という誓願を立て、得度した訳ですが、そのそもそもの志さえも成り立たなくなってしまいます。

一方、在家の方に対しては、「五つのマインドフルネス・トレーニング」というものがあり、これを強く勧めています。この「五つのマインドフルネス・トレーニング」を通して、例えばゲームやいろいろなウェブサイトに取り込まれてしまわず、自分の愛する人としっかりと共にいられるような方向へ進めるように、マインドフルネス・トレーニングの実践を勧めています。

そのためには、私たちにはプラクティスの結果、生まれるコミュニティー、戒を守りながら支え合う仲間や友人たちの助け=サンガが必要なのです。そのような中から、集合的なマインドフルネスのエネルギーが生じますと、私たちは、その大きな力によって、守られていることに気づきます。

タイがお書きになった「書」の一つに、とても素晴らしい言葉があります。それは「マインドフルネスは幸せの源 (“Mindfulness is a source of happiness”) 」という言葉です。

私たちは皆、「マインドフルネス=気づき」の光をともすことができます。私たちの誰もがそのエネルギーを持っています。そのエネルギーにチャンネルを合わせ、気づきの光を灯し、照らし出す。それは日常生活に「マインドフルネス=気づき」を応用実践して生きていくということです。そのように「マインドフルネス=気づき」が非常に強くあれば、楽に戒律を保つ事もできるようになります。そしてその結果、あなた自身が守られることになるのです。

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