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祈りのとき

広瀬 裕子
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暮らしの中から見えてくる風景や心象を表現し続ける、エッセイストの広瀬裕子さん。
2017年冬に、鎌倉から香川へ移住。
現在、設計事務所のディレクションに携わり、場づくり、まちづくりにも関わっています。
住む場所を変えて、見えてきたもの、感じた思いを綴ります。

 

ときどき祈りの時間がおとずれます。
過去に大きな出来事があった日、大切な人が旅立ったとき。
悲しいときだけでなく、うれしいときも祈りはあります。

いま、わたしのなかには、祈りというものが確実にあります。
ただ、それがいつわたしの元へやってきて、芽生え、根づいたのかは、よくおぼえていません。
気がついたらあった──。それがわたしにとっての祈りというものです。

生きる時間が長くなればなるほど、祈る機会、時間は多くなります。
祈りは、何かのため、他者のため、と、捉えられることが多いですが
本当のところ、いまを生きるわたしたち、自分自身にとり、必要なものだと思っています。

祈ることで、自分以外のものや時空を超えた出来事に思いを寄せることは、
そのものに対しての安らぎや鎮魂につながっていくのと同時に
祈る側にも安らぎをもたらし、大切な何かを育くんでくれていると感じることがあるからです。

祈りの形、行為が、こころの内側にあるものを見つめるきっかけ
──スイッチのような──を果たすこともありますし
救いになるときもあります。

祈り──。それは、循環するものなのかもしれません。水がたどる道のように。

雨が山や大地に降りその水が地中深く染みこむと何十年か何百年か後(それ以上の場合も)に
うつくしい水になり再び地上に湧きでます。
祈りも水のように人の奥底に染みこみ、時間の経過とともに思いがろ過され形を変え
いつしか人を潤すものとなり溢れてきます。

祈りは、本来、特別なものではありません。いつもそばにあり、日々の端々に存在します。
毎日のことでいっぱいになりがちななか、何かに祈る時間は必要です。
自分以外のものや人、大きなものや場合によってはささやかなものに思いを委ねることは
いのちをつないでいくために人が生みだした、または、自然に生まれた叡智なのかもしれません。

若いころは、祈りが自分を助けてくれるものとは思いもよりませんでした。
人は、生きる時間のなかで、そういうものの存在や意味を知り、理解していくのでしょう。

 

(月1回連載)

 

広瀬裕子

東京都生まれ。エッセイスト/設計事務所ディレクター/縁側の編集室共宰。「衣食住」を中心に、こころとからだ、日々の時間を大切に思い、表現している。
2017年冬、香川県へ移住。おもな著書に『YES』『50歳からはじまるあたらしい暮らし』『整える、こと』(PHP研究所)、『手にするものしないもの 残すもの残さないもの』(オレンジページ)など多数。

広瀬裕子オフィシャルサイト http://hiroseyuko.com
YES
著者:広瀬裕子
出版社:PHP研究所
定価:本体1,100円+税
発行日:2019年7月13日
あたらしいわたし
共著者:藤田一照×広瀬裕子
出版社:佼成出版社
定価:本体1,200円+税
発行日:2012年12月
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