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2019年「つながり(Connectedness)」Zen 2.0レポート(1)

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9月21日と22日の両日、禅とマインドフルネスについての日本初の大規模な国際フォーラム〝Zen 2.0〟 第3回が、日本の「禅」発祥の地、鎌倉五山第一の建長寺において開催されました。その内容を紹介していきます。

(文責:ダーナネット編集)

島田さん(右)はプラムヴィレッジ正会員。神さん(左)は、2015年プラムヴィレッジと出会った

「行きづまりや絶望から新しいつながりが生まれる(*)

*「【原題】Homeとつながるマインドフルネス―呼吸の中のわが家へ戻る―」(当日、「行きづまりや絶望から新しいつながりが生まれる」と改題される)

島田啓介:翻訳・執筆家、マインドフルネス瞑想ファシリテーター。心の癒しに取り組む里山ハウス「ゆとり家」主宰。

神久実子:東京都立国際高等学校 国際バカロレアコース 歴史教員。教育者サンガのメンバーと共に「教育者のためのマインドフルネス会」を月に一度開催。

 

*  *  *

呪縛から絶望へ

仰向けになり、安心して、大地に自分をゆだねるリラクゼーションワークが、まず、行われました。

そして、「〇〇でなくてはいけない。そういう呪縛に我々は陥っている」というお話から始まったお二人のセッション。それは、死んではいけない。病気になったら治らなければいけない。健康でなければいけない。etc. という呪縛だ。

のちにそれは「マインドフルネス・ブームがつまらない」といった、ちょっとツッパッた(島田氏の表現)の内容のお話に進んでいきます。

「ダーさん」と呼ばれ、後輩たちから慕われる笑顔の島田氏

なぜ、マインドフルネス・ブームはつまらないのか。それは、役に立つ/立たない という二分法で考えられることが少なからずあるからだ。――集中力が身につく。自己マネージメント力が身につく。うつが治る。という効果、効能を目的になされる場合が多い。

またそこにも、それがうまくいかないのは、〇〇にならないのは〇〇してないからだ(ちゃんとマインドフルネスが出来ていれば、こうなるはず)という呪縛があるというのです。

ここにあるのは、吹き込まれた思い込みから息詰まり絶望する、という危険性でした。

島田さんがこう言うのには、ご自身が経験された、躁うつ病という若き日の絶望体験があるからでした。

1995年、ティク・ナット・ハン師の来日当初から、マインドフルネスの第一線で活躍してきた島田氏の心の中には、昨今のマインドフルネス・ブームとかかわる際、もがき続けた自身のリアリティというものを捨てて、調子よく、時代のなかで踊っていてはいけない、という危機感がおありだそうです。

加え、若くして、あれほど苦しんだその理由には、病気は治さなければならないという呪縛が、まずあったからだ、という反省もあるそうです。

絶望からつながりへ

そして、病気が少し落ち着いてきた島田さんは、「べてるの家」(**)と出会います。

**べてるの家:1984年に設立された北海道浦河町にある精神障がい等をかかえた当事者の地域活動拠点。「ベテル」(Bethel)とは、旧約聖書『創世記』28章の故事に由来する。 それによると、アブラハムの子イサクの子ヤコブ(のちのイスラエル)は、一つのはしごが地の上に立っており、その頂は天に達し神の使たちがそれを上り下りしている夢を見、これは神の家、これを天の門としてその地をベテルと名づけた、という。

そして、べてるのソーシャルワーカーから次のような絶望体験を聞かされた、と言います。
精神障がい者の人と一緒に住みながら、当事者と一体となっていいコミュニティを作り、共に回復してゆくという夢を、当初、彼は抱いていたそうです。

ところが、現実はそんな甘いものではなく、ことごとく裏切られていったというのです。障がいをもった患者さんたちは、症状が悪化していって破綻してゆく。自分も経済的に追い詰められていって生活が破綻してゆく。――いったい、自分は何をしているのだろう。

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